真理の太陽

 第5講 「社会とユートピア」

ユートピア、それは長い間人類が求め続けてきた理想郷の事です。理想的な社会、それはいったいどのような社会であるのでしょうか。

 たとえば、科学の発達具合はどうでしょうか。現在は自動車や航空機などの交通期間が発達していますが、こうしたものがかえって危険な交通事故というものを造っているのも事実です。そうすると、このような科学が発展していない状態が理想であるはずもないので、あくまでも害とならない範囲での利便性という意味での科学の発展は大いに理想に貢献しそうです。しかし、どこまで発展していなければならないというものではなく、その時代の人々にとって不自由なく快適に生活できれば合格であると言えるでしょう。

 これがユートピアに対する科学の位置づけです。すると、ユートピアとは一般に考えるように未来社会のような高度に科学が発展した社会であるとは言えないということです。科学の発展はあくまでも補助的なものであり、問題はその中に住む人々です。これがユートピアか否かを分けるのです。

 では、いったいどんな人々が住む社会がユートピアなのでしょうか。すると、全ての人が幸福感に満ちている社会であると定義できると思います。では、具体的にどのように幸福なのかと言えば、たとえば、そこの人は皆明るく楽しいとか、穏やかで争いがないとか、ここと言うときはみんなで協力できるとか、社会や会社などを良くしようと努力している人々が安定して多数いるとか、その他いろいろな例が考えられると思いますが、総括して言えば、進歩と調和に満ちた社会であると思うのです。

 ですから、ユートピア社会とは進歩と調和が溢れ、その中に住む人々が幸福感に満ちている社会であると思うのです。ここにおいては、神理、すなわちあの世や神の話や霊の話は直接は関係ないと思います。現在で言えば、宗教ですが、このような宗教そのものが必ずしもユートピアの必要条件であるとは思えません。
 しかし、進歩と調和というものを現実に社会の中に反映しようとするときに、この世の価値観だけではどうしても無理があるわけです。それは、過去の歴史が証明しています。科学や学問が発達し、人々の知性や理性が高まると、逆に調和という価値が損なわれ、環境破壊やエゴイズムなどが横行し、調和というものだけに中心を置きすぎると進歩が鈍ってきて束縛の多いつまらない社会になってきてしまうのです。今までに様々な形でユートピアを求めての革命や政治がありましたが、どれも成功しておりません。

 それほどこの進歩と調和の両方を発揮する事は難しいのです。そして、なおかつ住民全てが幸福感を教授していなければなりませんからこの世の概念では不可能に近いのです。
 しかし、あの世の世界には天国という世界が現にあり、そしてそこに住む人々は全て幸福感に満ち、進歩と調和を体現しているのです。そうであるなら、あの世の天国をこの世に持ち来たらすことができればそこにユートピア社会は実現するはずであります。すると、あの世の天国とこの世の社会の違いというものについて考えてみる必要があるでしょう。

 違いの第一は、天国には整然とした秩序があり、神近き人々ほど大いなる立場と役割を与えられているという事であります。天国の世界は四次元から九次元までその霊の心性によって住み分けされており、それぞれの次元の人々に合った役割が与えられています。この秩序をまず確立する必要があろうと思うのです。現在のように、知名度やお金の使い方によって選出された政治家が人々を治めるというような制度は独裁という最悪を防ぐ以上の効果は期待できないのです。

 やはり、積極的にユートピアを建設していくためには、優れたる人、神近き心でもって人々を導き、社会を国家をまとめ、発展させ、人々に充実感とやる気を出させられる指導者が十分な影響力を持てるような体制が必要であります。これが平和に、国民の総意で行われなくてはならないのです。

 そして、第二の違いは天国の人々には欲望というものがない事です。いわゆる、執着というものがない人々が天国に住んでいるわけです。ですから、素朴に、謙虚に、争う事なく生活できるわけです。
 それと第三の違いとして、あの世には寿命というものがありませんから天国の人々は皆精神的に余裕があり、不調和の原因となるものが出て来にくいということであります。

 これ以外にも沢山の違いのある世界であり、同一に扱えない世界ではありますが、私達がこの世にユートピアを築くに当たり大変参考になるのは事実です。このような三つの違いを克服できれば、かなりユートピアの住人に近くなれるのではないでしょうか。
 すると、第一の問題は社会の指導者の選出に対するものであり、これは社会体制を変革すればある程度実現可能なものであります。しかし、第二の問題は人々の心の問題であり、社会体制としてこれをどうこうすることはできません。あくまでも、個人の心の持ち方の問題であります。また、第三の問題についてはこの世は総体的な時間の世界であり、全てのものに寿命があるのは変えようがありません。また、このようになっているからこそ、生命の循環が可能となっているわけです。

 ところが、神理のうちに生きるとき、この第二、第三の問題もクリアーできるのです。第二の執着を絶つということは仏教で釈迦が主として説いた事であり、私達人間の本質が肉体ではなく、霊であり本来食糧もお金も必要としないのであり、何もかも豊富に創り出せる天国からこの世に生まれてきているのは、自らの魂の進歩と調和のためである。そのために、物にとらわれるのは止めて、欲望に翻弄される事なく、足る事を知って生活し、目的であるところの自分の心を磨かねばならないという教えであります。

 第三は、人間の本質が霊であり、生命エネルギーであり、永遠の生命を持ってこの世とあの世を循環しているのだという神理です。
 こうした神理を社会の中に根付かせる事により、天国的な住人が創れるのです。よって、神理の普及に成功すれば後は徳高き指導者が重要な地位につくような仕組みさえ確立すれば良いと思うのです。完全なユートピアとは言えませんでしょうが、現代においては最高のユートピア社会であると思います。

 ただ、間違ってはならないことは宗教で国を統治するという事ではないという点です。国民を治めるのはあくまでも政治の役割であり、それを行うのは政治家であります。しかし、その政治の内容はユートピア建設の趣旨と一致していなければならないということです。そして、政治というものが本来、人々をいかにうまく調和させ、幸福を増進させるかという目的を持つものである以上、人々をより幸福にすることができる人が指導者とならなければならないという事であります。

 その過程に置いて、最低限度の神理は絶対に必要であると言っているのです。つまり、政治の中に神を持ち込まなければならないということです。人間が人間によって統治されるということは、どうしてもうまくいかないし、長続きしないのです。それは、過去の歴史が証明しています。ですから、人間が偶然できてきた生物ではなく、神によって創られた分身達なのだという神理により、神の心を最高のものとして位置づけようとしているわけです。
 そして、これに従って秩序ある社会を建設するわけです。また、神の願いであり、人間の使命でもある進歩と調和に満ちた社会を目標として経済や行政や各種の活動を推進していこうとしているわけです。

 いきいきとした国民達の情熱と努力と協力により、進歩と調和はもたらされるのですが、そのためには、神理を悟る事による幸福感と神や自然の万物への感謝という事が必要となってくると思うのです。神理を知る事により、有限の寿命からの精神的束縛を絶ち、永遠の生命を感じる幸福を与え、自然始め全てのものが神により与えられたものである事を教える事により、現在の環境に感謝する事のできる国民を造るのです。このようにして、素晴らしい国民ができたなら、その中から徳という事を中心として人々や社会のために良い働きのできる人を指導者として選出していこうと考えているのです。

 このようにして、まず初期のユートピア社会を建設しようとしているわけです。これを土台として後々さらに発展させていけば良いと思うのです。ごく初期のユートピアではありますが、今までにない大きな意義を持っているのです。

 一つには、人間が霊であり、永遠の生命を持っているという神理の確立です。現在の唯物論とはまったく正反対です。これにより、霊界という四次元以降の次元の異なる世界の認識と探究という事が始まるわけです。人類史にとって大きな1ページです。

 二つ目に、地球人類単位での統合的概念の確立ということです。人類が皆神の子であるという神理により、始めて地球単位での調和の可能性が出てくるわけです。まず、日本という国に神理国家を造り、この日本が世界の舞台で大きな力を持つ事により世界を調和に導いていこうと考えているのです。これはどこまでできるかこれからの課題でありますが、ある程度のところまでできるはずです。また、こうした動きにより世界大戦というものは今後の人類史からは消えると思います。局部的な争いはあるでしょうが、世界中が参加しての戦争というものはなくなるはずです。

 三つ目に、宇宙というものが身近になるという事です。こうした最低限の神理が地球規模で常識となった時、他の惑星からの宇宙人が交易を開始してくるでしょう。宇宙には現実にいくらでも生命の宿った惑星はあり、その中には私達にとって有益なものが多くあるし、また彼らにとって我々地球のものが有益である場合もあるわけです。こうした宇宙規模での貿易というものが始まるはずです。

 いつの時代にも彼らは地球へやってきていますし、私達の精神レベルが向上し、彼らと友好的に交渉できるようになるのを待っていた訳です。これが、この地球規模での調和を実現し、人間神の子の神理を確立したときに結果的に満足されるわけです。そして、地球側の準備さえ整えばいつでも宇宙貿易は開始されるでしょう。

 このような意義あるユートピア社会ですが、これを打ち立てるのは並大抵のことではありません。地球単位での意識改革が必要なのです。大きな困難も伴うでしょう。ある程度の荒治療、天変地異もやむを得ないかも知れません。しかし、そうした困難の向こうには、先述のような人類の希望があるのだということを知って欲しいのです。決して苦難のための苦難ではなく、大いなる飛躍のための、人類が長年追い続けてきたユートピア実現のためのハードルであるということであります。