真理の太陽

 第2講 「神と霊と人間」

 第1講で述べたように、神とは宇宙の中のすべての物を創った根源のエネルギーであります。そうすると、その本質は私達人間のように肉体を持った生物ではあり得ません。何もないところにビッグバンを起こした力そのものが本質であり、それは私達が現在日常的に使っている言葉で表現するならば、エネルギー体というものに極めて近いであろうと推定されます。
 ゆえに、現在の私達の科学知識レベルにおいては神の本質を創造の意図を持った巨大なエネルギー体と認識するのが最も妥当であると思います。

 そうしてみると、私達がエネルギーと呼んでいるものは神の本質に良く似たものであるわけです。たとえば、電気エネルギーというものがあります。これは、これ自体私達の目に見える物ではありません。電気エネルギー自体を見ることはできません。しかし、時によってはその存在をたとえば、雷の時の放電現象の火花で見たり、現代では家庭において様々な電化製品がコードをコンセントに差し込み、スイッチを入れれば動くことから間接的にその存在を認めることはできます。

 そして、このエネルギーの特徴の第1として目に見えないし、手にも触れないし、耳にも聞こえない、匂いもない、味もわからないという特徴があります。すなわち、私達の五感では感知し得ない存在であるということであります。
 第2に、このエネルギーは放射されるときには大きな力を発揮するということです。これはそのエネルギーの種類によって違いがありますが、特に最近脚光を浴びているのが原子エネルギーです。私達の現在の科学では放射能という危険を伴った使用しかできない状況ではありますが、この原子力が非常に大きな力を持っている事は間違いありません。

 これの原理は物質を造っているところの原子構造を中性子などを使って変化させることによってその時に放出されるエネルギーを利用しているものです。また、最近ではこのような核分裂反応ではなく、核融合によるエネルギー抽出が研究されているようです。いずれにしても、第1講でも触れたように原子とはエネルギーが固形化してできたものであり、そのエネルギー量の違いにより原子構造が異なることから、原子構造を変化させる事によりこの差のエネルギーを抽出しようとする方法であるわけです。ですから、私達の科学がもっともっと進めば、物質その物をエネルギーに変換する事もできるはずです。そうすれば、わずかな物質で国中の電力をまかなえるようなエネルギーが抽出できると思います。

 いずれにしても、エネルギーにはこのような特徴があるということです。そして、この特徴は神そのものの特徴の一面でもあるということです。神の本質がエネルギーである以上、私達人間の五感で感じられる存在ではなく、そして私達の理解を越えた巨大な力を持っているということです。
 それでは、霊とは何でしょうか。結論を言えば霊とは生命エネルギーのことです。

 この世と言われる私達人間が住む世界は、三次元と呼ばれる物質の世界でありますが、実はこの三次元世界の中にエネルギーの次元の世界が重なるように同居しているわけです。ですから、たとえば火を燃やしたりすると物質の変化と共に熱や光のエネルギーが出てくるわけです。

 もっとわかりやすく言えば、物質とはエネルギーが固形化した姿の物であり、こうした物質ばかりを三次元世界と呼んでおり、まだ固形化していないエネルギーの世界をエネルギーの次元の世界、四次元以降の高次元世界と呼んでいるのです。これが同居していると言う事は、つまり物質の状態のエネルギーとまだエネルギー状態のものが同じ空間に入り交じって存在していると言うことです。ただ、私達人間の五感の感覚ではエネルギーを直接感じることはできないのでエネルギーが同居している事に気づかないだけです。

 そして、このエネルギーにも様々な種類があります。たとえば熱エネルギー、光エネルギー、電気エネルギー、原子エネルギーなどですが、最も高度なエネルギーは何かと言えばそれが生命エネルギーなのです。
 生命エネルギーというのは生命を生かし、活動の源泉となっているエネルギーのことです。たとえば、花の種を地に蒔けば、やがて芽が出て、葉が生え、茎が伸びて、花が咲きます。こうした活動の源泉の力、生命力のことをいうのです。人間について言えば、この生命エネルギーは、心臓始め内臓の諸器官を動かし、手足などの操作を司り、感情や思考などに基づいて自分自身をコントロールする力、生命力のことを言います。

 この生命エネルギーの事を霊と呼んでいるのです。ですから、霊とは何も人間に限ったものではありません。他の動物にも、植物にも霊は宿っているのです。生命エネルギーが肉体と同居しているわけです。
 つまり、人間とは肉体というエネルギーが固形化してできた物質と、霊という生命エネルギーが合体してできているものなのです。そして、どちらが私達の本質かと言えば、当然ながら生命エネルギーの方なのです。これが私達の本質で、肉体とはこの三次元の物質の世界を体験するための乗り船に過ぎないのです。

 そうすると、霊と言うのは私達人間が死んで肉体を離れた状態、すなわち乗り船を降りて生命エネルギーだけになった状態の事を言っているということになります。つまり、乗り船に乗っている状態が人間であり、船を離れて自分の足で歩いている状態が霊なのです。どちらも状態が違うだけで私達自身である、生命エネルギー自体には変化はありません。

 すなわち、人間とはたった七十年、八十年の命しかない、はかない生き物ではないということです。私達の本質は霊と呼ばれる生命エネルギーであり、せれは永遠の生命を持っているのです。それが一時期、肉体と呼ばれる乗り船に乗ってこの物質の世界を体験しているに過ぎないのです。そして、また数百年ほどしたら違った時代に生まれて違った体験をするわけです。
 こうした生命の循環があります。これを仏教では転生輪廻、あるいは輪廻転生と呼んでいます。私達がこの世に生まれ、育ち、老いて、死んで、あの世に還り、ある程度期間をおいてまたこの世に生まれてくる様を言うのです。これをずっと繰り返してきているのです。それも一回や二回ではありません。なんと数億年にも渡り繰り返してきたのが、地球における私達人間の真実の生命の歴史であるのです。

 さて、神と霊と人間の関係を整理してみますと、人間の本質は霊であり、そしてそれは神により創られた生命エネルギーであり、神もまた同様の性質を持った巨大なエネルギー体であるということです。つまり、神と霊と人間というのは同じ系統のエネルギーであるということになります。
 キリスト教でいうところの、人間神の子の教えは真実そのものであったわけです。私達人間は神に似せて創られた生命エネルギーが、この世の物質世界を体験するために一時期肉体という衣に宿った姿であるということです。 そして、この世において自ら動く事が出きる物はすべて神と同種のエネルギーの分身であると言えます。ただ、そのエネルギーの発達具合はまちまちで段階差があります。それは微生物から植物、動物、人間などの地球の中の生命は言うに及ばず、惑星や恒星という単位でも言えます。

 地球を始めとする惑星は自分で自転をしたり、恒星の助けを借りて公転をしています。そして、条件が整えばその中に生命を宿す事が出来ます。このような惑星には、実はその中に星としてのエネルギーが宿っているのです。だから、規則正しく自転をしたり、地殻変動やその他様々な変動があるわけです。すべての星には命があるのです。
 太陽のような恒星についても同様の事が言えます。惑星に熱や光を供給し、その軌道を秩序正しく維持するために恒星のエネルギー体が宿っているわけです。そして、星雲や宇宙自体にもそれを統御しているエネルギー体がいるわけです。

 つまり、神は自らのエネルギーを分散するようにして宇宙や星雲、恒星、惑星のエネルギー体(神霊)を創られたのです。そして、ビッグバンにより三次元宇宙空間を物質化し、それに宇宙の神霊が宿り、その中に数多くの星雲を物質化し、それに星雲の神霊が宿り、その星雲の中に沢山の恒星が物質化され、恒星の神霊が宿り、その恒星の周りにいくつかの惑星を物質化して、惑星神霊を宿らせているわけです。こうして現在の宇宙空間は完成されたのです。

 そして、その惑星の中で私達のような生命が環境を与えられ、肉体という乗り船を与えられて物質世界の体験をすることができているのです。これが、真実の意味での天地創造の秘密なのです。
 ですから、私達人間とは偶然に猿か何かが進化してできた数十年の命しかない動物ではなく、神と親子関係にあるエネルギー体であるということです。そして人間と惑星、恒星、宇宙、神というエネルギー体の違いはそのエネルギー量にあるわけです。構造的に違うのではなく、エネルギーの量が違っているのです。ですから、私達人間もそのエネルギー量を増やしていけば惑星、恒星、宇宙、神というように進化していけるということです。
 これが、神と霊と人間の関係です。