アクエリアスの時代を切り開こう

 4節 奇跡のシナリオを開く鍵・・・真理教育

 こうした、天皇の徳により良い方向へ導きながらの民主政治が登場してきます。なぜなら、民主政治だけであれば、最高の議決根拠は多数決ですね。国民の大多数が賛成する案件は可決せざるを得ないのです。
 しかし、国民が良識を持って判断を下している間はそれで良いのですが、単なる自分の利益で判断しだしたらどうでしょう。たとえば、減税に関する法案などは誰でも取られる税金が少なくなるのですから賛成しますね。しかし、国家の財政を考えると収入が減るわけですから慎重にやらないと財政危機に陥ります。ところが、国民の大多数が国家の財政の事などに無関心で自分の税金が少なくなる事だけを考えだしたら、国家の財政は傾かざるを得なくなります。

 次第に、国力も弱体化して経済も停滞します。国民の生活も苦しくなっていきます。結局、自分達に悪い結果として降り懸かって来るんですが、どうしても目先の事しか考えないんですね。これが実態ですから、単なる多数決が絶対正しいという事は有り得ないのです。少数の方が正しい場合もいくらでもあります。特に、現在のように国際情勢が不透明で先が読めず、国民が政治に無関心な状態では余計です。

 やはり、素晴らしい指導者がより良い方向へ導いていかなければ、国民の喜ぶ事だけをやっていたんでは失敗ばかりになってしまいます。衆愚政治に堕さないためには、正しい判断のできる指導者が必要ですし、この指導者の元、三権が団結して機能する政治が最も効果的であると思うのです。

 こうした政治制度が出来上がる前提としては、その交代制度が確立している事が必要です。つまり、彼の指導により国を上げて取り組むのですから、この判断が間違っていたら大きな痛手になります。また、独裁などおかしな事を考え出したら大変な事になります。この指導者がおかしくなれば、すぐに自動的に罷免される制度を造っておかなければならないのです。彼が発表した指針はやがて各種の行政機関により施行されますから、その結果を国民が判断して彼の支持を決めていくというフィードバックのシステムが確立しなければなりません。そして、より素晴らしい結果を出せる指導者が選出されていく政治制度が必要です。

 こうした制度を確立した後、政治改革が行われ、その結果、最高の指導者として天皇が選出されるというのが望ましいのです。
 そして、経済改革が成功し、この政治改革が成されると前にも少し触れましたが、この徳ある初代の天皇として神武天皇が即位するはずです。この時がこの本で言うアクエリアスの時代の到来です。アクエリアスの時代の到来を告げるのは、神武天皇なのです。

 この頃には、国の中はもちろん世界的にも大調和の時代に入っています。世界戦争は集結し、人々はお互いを神の子として尊厳して進歩と調和のために努力しているでしょう。一種のユートピア社会ができているわけです。至福の時代、黄金の時代です。

 さて、この黄金時代には真理というものが一般に浸透していますが、この天皇の重要な役割の一つとして、真理の普及があります。真理というものを、その権威で国民に講演し、多くの人々に精神的な幸福を与えるという努めがあるわけです。自分の悟りで国民がより幸福に暮らせる心の持ち方を教える仕事があるのです。真理教育という事です。

 これから起こる今回の革命は、言ってみれば意識革命です。現在の唯物論や無神論に染まっている人々を180度展開して、真理に目覚めさせようとする意識改革から始まる革命なのです。
 古来より、人々はユートピアを夢見てきました。地上では、何処の国も戦乱が頻発し、弱肉強食に近いような状態も度々ありましたし、身分制度のようなものでがんじがらめに縛られて奴隷のような待遇に涙した人々もいました。また、何度かの世界大戦のために家も土地も奪われ、親戚や家族とも死に別れて悲惨な生活を経験した人々もいました。

 そのような、体験を味わいながら人々は一方で夢のようなユートピア社会を空想してきたのです。誰もが生き生きと楽しく過ごし、身分の違いも無く、貧富の差も少なく、食糧に事欠かず、希望する職業に就けて幸福に暮らす事が出きるような社会はどこかにないものかと空想したものです。

 しかし、そうした理想社会は今だに何処にもあった試しはありませんし、またあるとも思えません。なぜなら、現在の人間が寄り集まって理想社会などできるわけがないからです。人々は自分の利益を最優先に考えていますし、神や仏の前に謙虚に自分を反省する習慣も持っていません。やりたい事をどれだけやれるか、欲しいものをどれだけ手に入れる事ができるかが人々の最大の関心事なのです。こんな人達が集まったところで、お金や地位の奪い合いしか始めない事は火を見るより明かです。

 人々が集まって、その社会が理想社会になるためにはそこに集う人達は自分の私的な欲より理想社会の建設のために尽くす事のできる資質を持った人達でなければなりません。結局、その中に住む人々の心が社会に反映されるわけですね。ですから、その反映した社会が理想的になるには、元の人々の心は神様のような透明で正しいものでなければならないのです。

 この神様のように透明で正しい心とは何かというと、これが真理なのです。真理とは簡単に言えば神様のような心の持ち方を学ぶ事なのです。人々は単なる動物が二本足で立ち、少しばかりの知恵を持ち、他の動物や植物を虐待し、環境を汚染し、孫悟空のようにわがままに生きている現在の姿から脱却するには、本来の姿を教える必要があるのです。本来の姿とは親なる神の心、真理以外にないのです。

 この真理に目覚め、神の子のように見える人々が集えば、そこにはユートピアができることは自明の理であるわけですね。これが基本であり、必要条件であるわけです。人々の心がすさんでいて、暗ければ、どんなに優れた指導者が現れたところでユートピアなどできるわけもありません。イエス・キリストが捕らえられ、十字架に掛けられ、処刑されたように反対派により葬り去られるのは目に見えています。

 真理とは、学問のように暗記するものでも、また万人に同じように与える画一的なものでもありません。十人十色と言うように、それぞれの人が皆心性は違いますから、そのそれぞれの違いに応じた真理が必要とされるのです。たとえば、悲観的で暗くなりがちな人には、希望の原理、光明思想の真理が必要ですし、精力的ではあるが配慮に欠ける人には、反省の教え、自己規制の真理が説かれなければなりません。

 相手の気根に合わせた真理が必要とされるわけで、その真理により相手が素晴らしく変わらなければ意味がないわけです。相手をより幸せな心の状態にするもの、それが真理の目的なのです。ですから、この真理を説く者は縦横無尽に色々な教えを説ける人でなければなりません。様々な真理の説法により、多くの人々を悟らせ、幸福へと導く力が要求されます。

 ですから、この天皇の真理教育というものは最高の教えであり、国家の心髄とも言うべき大切なものになります。単なる思想家や学者のような人では無理です。
 神の如く真理を説ける人でなければならないのです。大変困難な仕事ですが、それができる人が計画的に生まれてきています。そうした大きな使命を帯びた人達が送り込まれているのです。この人達は極少数ですが、神近き指導霊の指導を受けて人々に真理を説ける人達なのです。たとえば、釈迦とかキリストなどに指導された人物が真理を説けば、その教えは世界中の人々を震感させ、悟りに至らせ、愛に生きさせるようになるはずですね。

 そうした人物が天皇へと選出されるようになれば国民はその講演を聴く度に幸福感が高まるのは必至です。初代の神武天皇もそうした人物です。多くの偉大な指導霊の指導を受けて、珠玉の真理を惜しげもなく次々と国民へ施されるでしょう。人々は幸福で幸福で仕方がない、まさにそうした状態になるはずです。