アクエリアスの時代を切り開こう

 3節 奇跡のシナリオを開く鍵・・・政治改革

 このように、真理価値が求められるような経済になると思います。そして、これを実践する企業も出てくるはずです。
 それは、ユートピア株式会社とでも言うべき存在となるでしょう。定款の筆頭に社会をユートピア化する事に貢献する事を目的として企業活動を行うと宣言し、自社の利益だけしか考えていない現在のほとんどの株式会社とは違って、人々の幸福や社会への貢献を目的として企業の企画、活動を行おうとする企業がやがて出現してきます。

 この企業は、これからの真理価値を盛り込んだ経済のモデルとも言うべき存在となるでしょう。そして、この企業の盛衰が日本のあるいは世界の将来を決する事になると思います。この企業がめざましい発展を遂げて、多くの企業を従えて巨大な企業群を作り、その企業群が日本の経済社会を牛時る程の力を持てば、日本経済の中にこの真理価値は確実に浸透します。

 人々は、単なるサービスだけではなく、そのサービスが結果的にどんな効果を持つかを考えて活動をせざるを得なくなります。勝手気ままに活動をしているところは、必ず倒産の危機に瀕するはずです。自然と淘汰されるようになります。こうなると、現在のようなせちがらい世の中とは少し事情が変わってきます。人々がより良い結果を挙げようと活動すれば社会は発展し、潤いに満ちてくるのは当然です。

 しかし、こうしたユートピア企業が破れ去ってしまえば、社会の中に真理価値を浸透させる事は無理でしょう。現在の延長で、エゴイズムの企業がのさばり、世の中はどんどん冷たく、無関心になっていきます。やがて、そうした冷酷な社会に悲観した人達が様々な無差別の破壊活動を行うようになります。結果として現れてくるものは、社会の崩壊です。

 こうなると、政治改革など有り得ません。この節で扱う政治改革の前提として、この経済改革の成功という事が必要なのです。この経済の中に真理価値を浸透させるという経済改革が成功して始めて可能な政治改革であるという事を前置きとして言って置きたいと思います。
 さて、では経済改革後に起きてくる政治改革とはどういうものでしょうか。それについて概要だけお話したいと思います。

 まず、有力な指導者が出てきます。徳のある政治家です。現在の政治家のほとんどは自分の地位、人気というものを大変気に掛けています。選挙によって選ばれるのですから、当然の事でしょう。人気がなくなればとたんに票に反映され落選の浮き目に会いますから大変です。絶対に票を落とさないように努めなければならないのですね。

 このために、あらゆる政治活動の中にこの個人の人気を下げたくないという事情が介入してきていると私は思います。建て前ばかりが先行し、国民に不評を買うような政策は敬遠され、受けの良い政策を発表しようとしています。野党は、与党に対して反対するのが当然と思っているようです。政策というものは、本来、国の将来的な展望をしっかりと見据えてその方向へ推進していくように行われるもので、良い顔ばかりしている訳にはいきませんし、時には厳しい態度を守らなければならない時もあります。個人的、あるいは組織的な枠を越えて、政治家が一致団結して国の将来について真剣に取り組まなければならないのです。

 これが、政治家としての当然の姿なのです。ですから、現在の政治など大した評価を受ける事の無いレベルの政治状態である事を認識して下さい。
 その証拠に、今本当に政治に関心を持っている普通の人達がいったいどれほどいるでしょう。ひどい人は、現在の総理大臣の名前さえ忘れています。これほど頻繁に交代されると無理もない事で「今、誰だったかな」と言う人もかなりいるのが現実です。ましてや、大臣などわかるはずがありません。そして、こうした内閣を中心とする国会の法案などに関心を持つ人というと極少数になってしまうのです。

 こうした政治に無関心な人々が非情に多いです。これは、選挙の投票率を見ればはっきりとします。ほとんどの選挙が半分とちょっとの投票率ですね。不在者投票という仕組みまであってもこのくらいしか投票率がないという事は半分近い人達が投票に行く気を起こせないという事を意味するものであり、その選挙自体にそれほど意味を感じないという事なのです。つまり、誰が当選しても大差無いと思っているのです。
 これは国民の政治に対する無関心が原因ですが、その根源は現在の政治状態にあるのです。現在の政治は国民にそっぽを向かれているのです。そして、現在の政治家の中に国民の期待に添えるような人物もいないので無関心を装っているのです。

 本来、政治というものに国民が無関心でいられるわけがないのです。彼らの生活を支えるのは、給料などで得たお金ですが、このお金は税金という形で一部、無理矢理取られてしまいます。自分の稼ぎの中から徴収されていったお金がどのように使われるのか関心がないわけがないのです。政治とは本当は、非情に国民生活と密着したものであるはずなのです。

 それもこれも現在の徳の無い政治家のせいです。しかし、この真理価値が定着した頃には徳高き政治家が輩出してきます。なぜなら、社会には真理価値が浸透していますから、現在のような国民にも、社会にも特に何の貢献もしないような政治家はその存在自体が疑問視されるようになるからです。人々を幸福にし、社会に貢献するものほど価値あるものとされる時代に選ばれる国民の代表は、最高に国民や社会に貢献できる人であるはずです。

 こうした政治家達はその地位の基盤がこうした国民の期待ですから、それに添えるように努力するようになります。より国民を幸せに、社会を調和させ、発展させるような活動をしようと努力します。政治家の本来の姿です。結果として「国民の幸福のための政治」がもたらされるわけです。
 そして、こうした時期にあわせて偉大な指導者が現れてきます。彼は、多くの国民に推されてその舞台へ上がって行くでしょう。彼の元、様々な改革が行われるでしょう。その改革の内容を今、事細かに書く必要もないでしょうから、大きな部分だけお話しますと、まず第一に日本国憲法が改正されます。

 部分的にではなく、おそらく抜本的な改正です。そして、この新しい憲法では神の存在とその信仰がうたわれます。これは現在の私達には非情に不思議な事のように思われるかも知れません。現在は、政教分離と言って政治と宗教を分離する事が良い政治の基本と考えられているからです。しかし、これは独裁者を生み出す事を防止するという意味合い以上の効果はないのです。

 むしろ、政治とは国民の信頼の元に指導者と国民とが一体となって行われるべきものであり、国民が一致団結して支持するという事が素晴らしい政治を行う事の前提として必要なのです。国民の圧倒的な支持を得て始めて強力な政治や改革というものは成す事ができるのです。それには、現在のように国民がめいめい勝手な事を言い、気ままに行動している状況ではどうしようもないのです。

 国民がすべて良識の元にまとまらなければなりません。そのためには、身勝手な人達を野放しにしていてはいけないのです。自由というものは公衆の利益を害するようなものは認められないのです。すべての国民は憲法の元に忠実に生きる事を目的とする義務が生じるわけです。そのための憲法です。しかし、憲法というものは人間が作ったものです。人間が作ったものに人間が服従するのはおかしいです。また、時代や環境の変化により憲法も改変が必要となります。

 こうした意味から、憲法自体の条項ではなく、憲法の中の永久に変わらぬ精神を守り抜く必要があるのです。その精神とは、人々がお互いの幸福を守り、社会の調和と発展を目指す事です。しかし、この精神は個人的な欲望や感情は犠牲にしなければならない場合が多いのです。自分が楽をしてお金を儲けようと考えていては、成り立たないわけですね。そうした感情を殺して人々が一生懸命、社会のために働いてこそ成就するわけです。

 すると、何故そこまでしなければならないのかという疑問を覆すものが必要となるわけです。「何故、そんなにして尽くさねばならないのか。死ねば終わりなのだから、楽に気ままに暮らせばいいさ。」という人達を説得するものが要るのですね。このために、どうしても神を持ち出さなければならないと思うのです。

 本当に、人間が神によって創られた生命のエネルギーがその真実の姿であり、永遠の生命を持ち、この世とあの世を循環しているのであれば、この世にいる間はその国の憲法に従い、神によって与えられた地上の命に感謝しつつ、目的であるところの自分の精神的な成長と同じく神の子である他の人々への愛に生きる事は当然の姿です。何人も異論をはさむ余地はありません。ですから、この部分をしっかりと固めねばなりません。

 ただ、これには客観的な証明も人々を納得させる証拠も必要でしょう。そのために、奇跡の事件が色々と起こるのです。過去の伝説の文明が甦るのもそうですし、異次元の世界の存在証明もそうでしょうし、宇宙人との交易もそうです。こうした奇跡を経て人々は現在の常識、無神論を捨てて神への信仰の時代を迎えるのです。

 こうした憲法の抜本的な改正が一つです。もう一つは、本当の国家の指導者としての天皇制の創設です。現在の天皇は国家の象徴です。公式行事に出席して挨拶する程度の役割ですが、今度の天皇は行政、司法、立法、教育の全てに対する指導者です。ただし、実質的な指揮権はありません。すべてに対する指導が仕事であり、直接指揮する事は許されていません。これは、もちろん独裁を防ぐためです。しかし、こうした天皇が大きな力を発揮するためにはよほど優れた指針を発表する必要があります。

 その指針の方向へ努力すれば必ず良い結果が出るようなものでなければなりません。このため、現在のような世襲制は廃止されます。国の中で最高に優れた指導者が選出されるようになります。そして、彼の優れた指導力により行政も司法も立法も教育も連携を取り合って人々の幸福が増し、社会が調和し、発展する方向へと誘導されていくのです。このような徳治的民主主義の登場を予言しておきたいと思います。