受験地獄の解消


  受験地獄についても、解決すべき課題であると私は思っています。大体、あんなに難しい受験問題を解けなければ大学に入れないなどということはおかしいです。もちろん、受験者の能力を評価するために試験をすること自体は良いことでしょう。中立な公平な審査の結果、優れた人から合格するのも理に適っていると思います。

  しかし、そのために事前の数年間を偏差値偏重の地獄に突き落とすのは間違っていると思うのです。受験生だって遊びたいでしょうし、人々との交流を通じて学ぶことだって多いはずです。

 それを家に、塾に閉じこもって勉強一筋に生きなければならないのは酷です。そして、このこと自体は必ずしも良い結果を招きません。いや、逆に周りの生徒をライバル視して冷たい雰囲気の中で一人孤独に勉強している生徒が多いのではないでしょうか。おかしいです。こんな受験地獄は、青少年を有意義な青春の一こまを無駄に潰している部分が多いと思われます。改革する必要があるようです。

  本当に優れた人を発掘したいなら、学力も当然ですが、それ以上に精神的な成長度を測るべきです。どれほど精神的な成長が達成されているかによって、入学後の生徒の成長度は大きく違うはずです。単なる詰め込み屋が良い成績を取っても、入学したとたんに詰め込まなくなったら、彼らは低いレベルの学生になり果ててしまいます。生徒の素質を重視して見るべきです。

  それによって、学歴偏重の受験制度も必然的に緩和されるし、生徒の質も結果的に上がると思います。精神的に優れた人、良い素質を持つ人を発掘することのできる試験制度が必要なのです。そうすれば、点取り虫の学生も少なくなりますし、精神的に成長する生徒が増えます。

 卒業生もおかしな人は少なくなります。そのような受験制度を考えなければなりません。偏差値など一体何の役に立つのでしょう。

 そんなもののために魂まで腐らせることはありません。伸び伸びと優雅に明るく、聡明に生きる人こそ優れた学生ですし、次世代を担うべきです。そのためには、受験地獄に落としていては逆効果です。素質を育み、伸ばすような教育が必要です。テストによい点を取るだけの教育ではありません。

  こころの教育がそろそろ登場するときが近づいています。それを担う人達が必要な立場に付けばやがて実現するときが来るでしょう。
   

       (1999.11.7     大和武史)

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